「あかねさす 紫野行き 標(しめ)野(の)行き 野守は見ずや 君が 袖振る」
額田王(ぬかたのおおきみ)
万葉の時代には、毎年5月5日に着襲(きそい)狩(か)りがおこなわれました。着襲(きそい)狩(か)りとは、狩(かり)装束(しょうぞく) で山野に出て、薬草を摘み、鹿などを追う年中行事です。歌の舞台は、蒲生野、登場人物は、20年前に恋人同志であった大海人(おおあま)皇子(のみこ)で、この時38歳、額田王は、40歳ぐらいでした。そして2人の仲に割って入ったのが兄の天智(てんち)天皇でした。アカネやムラサキの白い花が咲き、若鹿の角も伸びて、初夏の風が吹きぬけます。「紫(むらさき)草(ぐさ)が生えている野原を走りながら私に手を振ってくださいますが、困ります。あの人(天智天皇)が見ているかもしれません。でも、嬉しいやっぱりあなたが好きだから。」見つかったら困ると思いながらも、かっての恋人。しかも二人の間には、十市(とおいち)皇女(ひめみこ)までいるのだから、額田王が嬉しくないはずがありません。
「紫のにほへる妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも」
大海人皇子(おおあまのおうじ)
「おまえを憎いと思っていたなら、袖など振りはしないよ。
今でも好きだからこそ、気にかけているのに・・・
でも、今は人妻だものね。」
天智天皇は蒲生野での二人のことを知っていたのでしょうか。
天智天皇は大海人皇子の兄です。天智天皇の死後大海人皇子は兄の子の大友皇子(おおとものみこ) と争って(壬申(じんしん)の乱)天武天皇となります。兄弟の間を、額田王はどんな気持ちで行き来(き)したのでしょう。
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