長谷野の北、石塔道の側にあって堂の大きさは二間四面にして地蔵尊をお祀りする
その昔天智天皇九年、その地蔵堂の西に深い深い淵があった。どこまでも蛇がうねうねと曲がり行くように続き、あたかも下水堀のように連なり村落の東北、村社前辺りに至る淵に、巨大な妖怪(ようかい)蛇(だ)が住んでいて、往来の人や馬などに害をすることが数々あって、当時の村人たちをわずらわした。それでこの妖(よう)蛇(だ)を退治しようとするがその術もなく空しく年月が流れた。
こうして村人が困っているとき、行基(ぎょうき)という僧が来られて自ら一体の地蔵像を彫刻し、ここに安置させた。 こうしてこの妖(よう)蛇(だ)を降伏させ祟りを払った。是より以後、それからは、あえて災いがなくなった。ここにおいて長い長い溝のごとき淵を埋め、ようやく開墾した。それで蛇溝と、名称する。今でも伝えて「蛇繁の石」と名付けている。(俗伝) 木の本御地蔵様と、関(三重県)の御地蔵様と、ここ蛇溝の御地蔵様とは、一木よりつくられていると伝えられている。
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