御代参街道沿いのこの周辺長谷野は、
原野であり、伊勢神宮参詣のための道、御代参街道として数多くの旅人が往来していました。また樹木が繁茂して往来する人々に不安を与え、賊が旅人を妨害し、お金や持ち物を奪うなどの悪事を働いていました。その中でも明治23年12月下旬、遠国の旅人がこの道にさしかかった時、賊が現れ、お金や物を奪おうとしたとき、山中の何処からか、大勢の人々がこの旅人を救おうとする声が響きわたり、これに驚いた賊は一目散に逃げ去ったということ。それはこの原野に住む一匹の白狐が住んでいるといわれており、まさしくその白狐である見送り稲荷の神威であったのでしょう。
そこで永世に亘る保護を祈願するため、明治26年、周辺の篤志によってこの保護稲荷が築かれました。
原野であり、伊勢神宮参詣のための道、御代参街道として数多くの旅人が往来していました。また樹木が繁茂して往来する人々に不安を与え、賊が旅人を妨害し、お金や持ち物を奪うなどの悪事を働いていました。その中でも明治23年12月下旬、遠国の旅人がこの道にさしかかった時、賊が現れ、お金や物を奪おうとしたとき、山中の何処からか、大勢の人々がこの旅人を救おうとする声が響きわたり、これに驚いた賊は一目散に逃げ去ったということ。それはこの原野に住む一匹の白狐が住んでいるといわれており、まさしくその白狐である見送り稲荷の神威であったのでしょう。
そこで永世に亘る保護を祈願するため、明治26年、周辺の篤志によってこの保護稲荷が築かれました。