明治初年、禅宗黄檗派の中山、近江八幡土田町にあった。
正宗寺の末寺「尼寺」として三津屋町に建立した。
しかし、尼さんの死後、廃寺となったので祀ってあった観音様を一時、もとの正宗寺に預けていたが、その間、村では、二軒の火事があり、再び観音様を村に戻すことになり、明治15年、観音堂と太鼓堂を併せて建立した。
観音堂は、現在も毎月一回、十組に分かれた各組の持ち回りで、観音様の前で、御詠歌を唱えている。
太鼓堂は、現在も町内の寄り合いや、集りの時のふれ太鼓として使われている。太鼓のたたき方も寄り合い太鼓と仏事の時とは異なる。仏事の時は「ドーンドーンドンドン~~」と後をだんだん大きくたたきあがりに、2回うつ。寄り合いの時は、「ドーンドンドン~~」と後をだんだんちいさくたたきさがりに、二回打ち、最後に二回「ドーン」「ドーン」と大きく打ち止める。
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