今を去る300年前
承応年間(1652~1655)他村から浪人するものがあって以来、急速に村落に賭博が流行蔓延し、村落内が次第に堕落して、破産するものや離村する者まで出て来た。
この事の防止策として、規約が作られたが効果があがらず、最後の手段として、村落内の若衆に命じて大網を作らせ、賭博の禁に背いた者の家は大網で引き倒されても、一言の苦情も申せないという厳罰をもうしあわせた。これが網組の始まりである。
以来村落内から賭博を追放する事ができ村落内に賭博を知る者が居ないようになったが、その後も若衆の修養を兼ねた儀式として続けられたという。この網組は、いわば村掟のシンボルであったが、村の若年層の減少と共に途絶えた。
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