布施山城遺跡案内板が設置されました

 投稿日:2019.05.07 投稿者:布施町 苗村 久男氏(歴史文化部)  

 布施山城遺跡

(ふせやまじょういせき)

 

 布施山城は、玉緒(布施)山(標高約240m)の頂上に築かれた六角氏家臣布施氏の山城です。頂上からは北西に観音寺城跡、北に小脇城跡、北東に八日市、八風街道、鯰江城址や百済寺が望むことができます。広く視界が開けていて、戦国時代の軍事的な要衝でした。

 布施氏は主に布施三河守家と淡路守家に分かれていました。布施山城は本家筋である布施三河守が城主であり、布施淡路守は大森城主(東近江市大森町)と伝わります。永禄6年(1563)の観音寺騒動で、布施山城西側の羽田地域一帯を領する後藤氏が六角氏に謀殺されると、家臣は観音寺城を離れて各領地へ帰りました。これを契機に布施三河守家は、六角氏と距離を置いたとみられ、永禄9年(1566)には北近江の浅井氏と呼応して六角氏に反乱を起こしました。この時、浅井氏は東近江市五個荘小幡町まで南下して陣を張り、尖峰は船岡山に到達する勢いを見せており、布施山城周辺が緊迫した状態であったことが知られています。【東近江市教育委員会】※記事全文は案内板を転載

 

 令和に入り、初日の出を拝もうと予定しましたが、残念ながら雨。快晴の「こどもの日」に布施山に登り「令和の朝日」を撮影しました。